第七七番 瑞陽山東泉寺(臨済宗妙心寺派) 日金(ひがね)地蔵尊

静岡市清水区追分二丁目一二―一

<移転した東泉寺>

瑞陽山東泉寺は、清水入江小学校の南約一〇〇メートルの所、JRの線路の北側に面して建っている。

ただし、同寺はもと静鉄電車の入江岡駅の西隣の場所にあり、江戸時代の初めには、同寺の向かい側に御船手頭の役宅があった。(御船手頭については第七八番油木地蔵堂を参照。)だが、東海道本線の開通の際に境内の北側を削られ、さらに昭和四六年に、県道四〇七号(静岡草薙清水線)の拡幅のため現在地へ移転した。

開山は樹岳宗白和尚(一五八五没)。過去帳には天正年間(一五七三―一五九二)の創建と記されているが、天文年間(一五三二―一五五五)の末に作成された臨済寺の末寺帳には、既に同寺の名前が記されている。しかも、東泉寺の開創以前に真言宗の小堂があったとも言われており、詳細は不明である。

寺号と山号の由来も定かでないが、「東泉寺」の寺号は、同寺の近くに、清水の涌く泉があったことを想像させる。

本尊は阿弥陀如来。光背は昭和四七年に補修されたものだが、高さ七〇センチ程の尊像は、平安時代の作風をもつ古仏である。また、脇侍の日光、月光菩薩は仏師出口翠豊師の近年の作である。

 同寺の山門を入ると、すぐ右側に子育地蔵尊を祀る地蔵堂がある。さらに参道を進むと、両側には石造の仏たちが幾体か並んでおり、その中でも大きな布袋像と釈迦涅槃像に目を引かれる。また、墓地の入り口には、高さ二七〇センチ程の青銅の聖観音像が三界万霊塔の上に立っている。この尊像は、寺地の移転を記念して安置されたものである。

<円筒形の日金地蔵>

 日金地蔵は、本堂の前庭の、六地蔵尊と釈迦涅槃像の間の小さなお堂の中にある。高さ一八五センチ、直径三五センチ程の円筒形で、その上に直径五〇センチ程の傘を乗せている。そのため、かつては「傘地蔵」とも呼ばれていた。円筒部分の上部には、それぞれに円光を戴き、蓮台に乗った三体の地蔵尊の姿が線彫りで描かれている。また、下部にはこの地蔵尊が正保二年(一六四五)に、誰かの菩提を弔うために建てられたものであることが記されているが、摩滅と剥離のために判読が難しい。

 この地蔵尊の形状は、いわゆる「摩羅地蔵」と呼ばれるものである。「摩羅」とは梵語で悪魔のことで、修行中の釈尊を悩ませた欲望を意味している。とりわけ、この場合には性欲を表しており、摩羅地蔵の形は男根をかたどったものである。そのため、日金地蔵は縁結びの地蔵尊として信仰を集めるとともに、地蔵尊に触れば子宝に恵まれると言われていた。また、かつては性病の治癒に霊験があると言われたこともあるようである。

 ただし、「日金地蔵」の名前の由来は定かでない。おそらく、地蔵霊場として名高い伊豆の日金山にちなんで名付けられたものだろう。

 なお、日金地蔵尊の隣には延命地蔵尊が立っている。この地蔵尊は、当初は昭和一九年に祀られたものだが、頭部が破損したため、近年、新しい尊像に交替した。古い尊像は、古い六地蔵尊とともに聖観音像の台座の部分に祀られている。

ご詠歌  東なる泉の里も慈悲のうち  弘誓の船に乗りて至らん