第二二番 牛頭山向善寺(曹洞宗)延命地蔵尊

藤枝市天王町一丁目五番地三〇

<牛頭天王と向善寺>

 牛頭山向善寺は、県立藤枝東高校の正門の南、約百メートルのところに、道路の西側に面して建っている。
 室町時代、この場所には真言宗の大寺があったというが、戦乱によって廃絶した。その後、寛永年間(一六二四−一六四三)に全宗という禅僧がこの地に草庵を結び、地蔵菩薩と弘法大師の尊像を安置して、日々の勤行供養に精進したという。やがて、村人が全宗に帰依し、彼の念願であった寺院の建立に協力を申し出た。そこで、寛文二年(一六六二)、全宗和尚が開基となり、〇〇村の洞雲寺六世大洲重撮和尚を開山に仰いで向善寺が開かれた。
 同寺の山号は、江戸時代後期までは泉陽山といったが、後に牛頭山と改められた。これは、村内の八坂神社に祀られている牛頭天王の加護を願ったためであり、向善寺と八坂神社の間は、かつては真っすぐな道で結ばれていたという。また、山号を改めて以来、牛をひいて同寺の近くを通ることは許されなくなったという。
 ちなみに、牛頭天王は祇園精舎の守護神であり、頭頂に牛の頭をつけている。別名を武塔天神とも言い、素戔鳴尊や道教の神々とも同一視された。また、地蔵の仮の姿(垂迹)とも言われている。さらに、朝鮮半島の牛頭山で熱病に効き目のある栴檀がとれたことから、牛頭天王は疫病や災厄を除く神として、中世以来人気を集めてきた。向善寺の山号が牛頭山と改められたのも、疫病や災厄に苦しむ村人の思いの表れだったのかもしれない。

<向善寺の仏たち>

境内には二つのお堂が建っており、向かって右側のお堂には、大きな鯛をもつ恵比須の石像が安置されている。これは平成〇〇年に制定された藤枝七福神の一つで、他の神々は市内の清水寺(大黒天)、大慶寺(毘沙門天)、長楽寺(弁財天)、盤脚院(布袋尊)、洞雲寺(寿老人)、心岳寺(福禄寿)に祀られている。
 一方、左側のお堂には、木製の水子地蔵を中心に、石造りの千手観音と瘡守地蔵が並んでいる。千手観音は志太郡新西国三三観音の第二二番の尊像。西国三三観音の第二二番、補陀落山総持寺(大阪府茨木市)の千手観音にならって、亀の上に立っている。瘡守地蔵は素朴な形の石仏である。デキモノや腫れ物ができた時にお参りすると全快すると言われており、かつてはお礼参りに松かさを輪にしたものを奉納したという。
 また、本堂の裏の開山堂には寺宝の仏舎利が安置されている。これは、明治時代末期の大かんばつの際に、三重県一志郡の積善寺から譲り受けたもの。この仏舎利に願をかけると大雨が降ったということから、雨乞舎利と呼ばれるようになった。
 延命地蔵は同寺の本尊で、須弥壇上の厨子の中に、脇侍の掌善童子と掌悪童子を従えて祀られている。木製坐像で、台座を含む高さは約四〇センチ。法界定印を結んだ両手で宝珠をもち、肌や台座、光背には金箔が押されている。本尊が地蔵というのは、開基の全宗和尚の信仰に由来するのだろう。だが、向善寺は寛政四年(一七九二)に全焼しており、現在の尊像はその後に造られたものかもしれない。

  ご詠歌 煩悩の身をばそのまま菩提にと 通う市部の里のお寺に


       
           向善寺全景                      本尊・延命地蔵尊