第十番 佐渡(さわたり)地蔵堂 子授地蔵尊
静岡市丸子一丁目
<万葉歌碑と地蔵堂>
佐渡地蔵堂は、国道一号線の佐渡交差点から県道二〇八号線(旧東海道)にはいり、五〇メートル程進んだところにある。道路をはさんで、東側に佐渡公民館、西側に地蔵堂が建っている。
佐渡(澤渡)というのはこの地の古い地名である。しかし、昭和五二年にこの一帯は丸子一丁目と改められた。その時に、「佐渡」の名前が消えることを惜しむ人々が、『万葉集』巻一四東歌の中の「佐渡の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ」という歌を刻んだ万葉歌碑を公民館の前に建立した。「佐渡に住んでいる美しい彼女と道で行き会ったのに、私の乗っている赤毛の馬の足が早いので、言葉をかける暇もなかった」という意味のこの歌が、一説には丸子の佐渡村を舞台にしたものだと考えられているためである。そうだとすれば、「佐渡」の名前は千三百年近い歴史を刻んできたことになる。
地蔵堂は、この佐渡村の東端に位置している。かつて、そこは東海道上の有度郡と安倍郡の境で、丸子宿への入り口でもあった。一八〇〇年頃に描かれた『東海道分間延絵図』を見ると、現在と同じ場所に同じような地蔵堂が建っている。お堂の中には、今も天保一三年(一八四二)と記された「三界萬霊等位」の位牌が祀られている。
また、堂内には明治二年六月に村内で行われた勧進相撲の記念板が保管されており、大関大和風歌吉以下八名の力士の名前などが記されている。これは長年お堂の外側に掲げられていたというから、当時、勧進相撲の収益金で地蔵堂の建て替えが行われたのかもしれない。現在のお堂は約二間四方。昭和一〇年に建てられ、昭和五七年に修理された。しかし、目の前の道を頻繁に行き交う車の振動と、屋根をかすめて通り抜ける大型車のために、既にお堂に傷みが出始めているという。
<子授けのお地蔵さん>
子授地蔵は石造りで高さ約一メートル。背面に「願以此功徳、普及於一切、我等與衆生、皆共成仏道」と刻まれているが、年代などは記されていない。もとは佐渡村の地蔵として、古くから村人の尊崇を集めていたのだろう。首がとれてしまい、修理した跡も残っている。左手に宝珠をもつが、右手の錫杖は失われた。
この地蔵は、子宝に恵まれない女性がお参りすると御利益があると言われており、かつては東京などからもお参りに来たという。現在でも時々訪れる人がいるとのことである。お参りする人は、地蔵堂の中に祀られている小さな地蔵を一体借りて持ち帰り、子供ができるとその地蔵を返すとともに、新しい地蔵を一体納めることになっている。そのため、地蔵堂の中には、子授地蔵を中心に、大小五〇体程の地蔵が左右に並んでいる。
現在、子授地蔵は丸子一丁目の老人会、「佐渡村恵比寿会」が管理しており、ご朱印札も同老人会で配布している。かつては毎月数回おばあさんたちがお堂に集まって念仏やご詠歌を唱えていたが、その習慣は途絶えてしまった。縁日は七月二四日。この日には、丸子の福泉寺住職による読経供養が行われている。
ご詠歌 轟の橋を渡りて佐渡の 子授地蔵と人は願わん