平成25年歳末ごあいさつ
平成二十五年も残りわずかとなりました。
今年も国内外で様々な出来事がありました。富士山の世界遺産登録や、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定、景気の回復傾向が伝えられる一方で、伊豆大島やフィリピンにおける台風の甚大な被害は、改めて自然の恐ろしさを思い知らされるものでした。また、好転の兆しの見えない近隣諸国との外交関係や、東北地方の震災と津波からの復興、原子力発電所の事故処理の問題など、内憂外患の状況が続いています。まさに神仏のご加護を祈らずにはいられません。
ところで、わが国では多くの方がたが、神様と仏様、神道と仏教に対して同じように祈りを捧げています。とりわけ、赤ちゃんが生まれると初宮参りを行いますし、人が亡くなると仏教式の葬儀をあげています。また、初詣には神社にお参りに出かけますが、お盆やお彼岸にはお寺参りに出かけます。こうした自らの姿を振り返り、日本人は宗教に対していいかげんだという思いを抱いている方も多いのではないでしょうか。
しかし、よく考えてみれば、私たちは無意識のうちに、神様と仏様を使い分けているのかもしれません。例えば、特別に野球の上手な人を「野球の神様」と呼ぶことがありますが、「野球の仏様」とは言いません。一方、とても慈悲深い人を「仏様のような人」と呼びますが、「神様のような人」とは言いません。また、神社のお祭りではお神輿を担いで威勢よく「わっしょい、わっしょい」とやりますが、お寺の儀式と言えば静かな雰囲気を思い浮かべる方も多いでしょう。
もともと、日本の神様は山の神様、川の神様、海の神様、太陽の神様というように、いずれも大いなる力をそなえ、その力を人間に分け与えてくれる存在でした。それに対して、仏様とはお釈迦様のように、みずから修行を重ね、煩悩を取り除くことによって悟りを開かれた方、あるいは、人々の苦しみを取り除いてくださる方のことをさしています。つまり、神様は力を与えてくださる存在、仏様は自分自身や周りの人々の悩みや苦しみを取り除いてくださる存在だと考えられているのです。
そうだとすれば、赤ちゃんの誕生や新年を迎える時などのように、新しい力を必要とする時には神様に祈りを捧げ、悩み事から逃れたい時や、心を落ち着けようとする時、あるいは人が亡くなられた時に仏様に祈りを捧げるということは、実に合理的で、むしろ信仰心あふれた姿だと言えるのではないでしょうか。除夜の鐘を聴きながら一〇八の煩悩を拭い去り、穏やかな年越しを願う思いもまた、仏様への信仰の表れと言えるのかもしれません。日本人には日本人の宗教や信仰があり、文化や伝統があります。そのような、ご先祖様から受け継いだ「こころ」のあり方を、大切に守っていきたいと思います。
なお、昨年以来ご連絡をいたしておりました当山の開山堂兼位牌堂の建て替えに関しましては、本年九月より作業を始め、十二月九日に上棟式を行いました。新しい堂宇の完成は来年の秋頃になる予定です。作業中、皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、引き続きご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
平成二十五年の歳末にあたり、お檀家様のご健勝を祈念いたしますとともに、よきお年を迎えられますことをお祈り申し上げます。