平成21年歳末ごあいさつ

 高い山に登ると、欧米人は「山を征服した」と言います。そのために、登山の用具や技術が発達しました。これに対して、日本では神の宿る山に登らせてもらうという考えです。白装束に身を包み、金剛杖をつき、「六根清浄、お山は高い」と唱えながら、身心の修行のために山に登ります。深山の霊気に触れ、大自然の威神力を授けてもらうための登山であり、回峰行なのです。

 欧米のスポーツでは、技能を高めることにより、その技能が契約という名目で売買の対象になっています。そのため、一流選手の出場する試合は観衆が興奮し、競技場は熱気にあふれます。これに対して、日本の競技は柔道、剣道、弓道のように「道」がつきます。相撲にいたっては、土俵を塩でまき清めて取り組みます。そこには勝負を通して人間を練るという思想があります。このように、日本人は欧米人に比べて、万事に精神性を重んじる風土の中に生きています。

 ところが、今や日本も欧米の物質文明を取り入れて、一流の文明国家になりました。しかし、物が豊かになればなる程、犯罪が増え、精神的に不安的な人が多くなりつつあります。小学生に防犯ベルを持たせたり、通学を警護しなければならない時代になりました。子どもたちが土まみれになって、日暮れまで遊び回っている姿は見られません。都会はもちろん、どんな人里離れた田舎でも、戸締まりを厳重にしなければならなくなりました。そして、日本中の津々浦々まで、経済を優先する時代になったのです。

 経済の原理は人間の欲望の競争にあります。一方で、日本文化の根底には大自然と一つに生きるという考え方があります。そこには、情に厚く、義を重んじ、金銭の話が付きまとうことを(いさぎよ)としない精神が流れています。物質文明の繁栄とは何か、それを根本から問い直すべき時代になっていると思います。

 けれども、現実には日本も欧米流の文化圏に際限なく融け込もうとしています。その顕著な現象として、外国語や「カタカナ語」の氾濫があります。さりとて、大半の人々はそれらの言葉の本来の意味を尋ねるほどの探求心もありません。お互いに何となくわかったような気分で通じ合っているだけなのです。流行語として、それらの言葉を人並みに使うことが「かっこよさ」だと思っていることも問題です。

 かつて、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』という本の中に、日本人は水と安全を「ただ」だと思っていると書いてありました。当時は当たり前だと思っていたことが、少しずつ変化しています。しかし、まだまだ日本は世界的に見れば安全であり、安心して生活できる国だと思います。今一度、謙虚に反省してみることはいかがでしょうか。 

平成二十一年の歳末にあたり、お檀家様のご健勝を祈念いたしますとともに、よきお年を迎えられますことをお祈り申し上げます。