平成18年歳末ごあいさつ

 安倍首相は九月下旬の就任後に、「美しい国、日本」と題する初談話を発表しました。確かに、日本国全体は山紫水明で、各地にすばらしい景観があふれる国であります。しかし同時に、そこに住む日本人の一人一人が、美しい心で人間界や自然界に接することのできる、世界に誇り得る国民であることも大前提であります。

 十一月の初旬に、朝日新聞に莫那富という中国人ジャーナリストの「両親が見た日本のよさ」という記事が掲載されておりました。在日二一年目の著者が、香港在住の両親を親孝行のために日本に紹介した時の話です。この著者の父親は、老齢のために視力がかなり弱く、道を歩く時にも路面のでこぼこに非常に神経を使わなければなりません。そのため、来日した最初の頃の感想は、その多くが路面に関することでした。「道路を渡る場所は、縁石がきちんと削られていて段差がない」ということをしきりに感心していたというのです。

その後、昼食のために入った店で、屋外席に座ってお茶を飲んでいた時に、両親は意外な光景を目にしました。隣の席にやって来た二人づれの若い女性が、カバンをテーブルの上に置いたまま、メニューを選ぶために店内に入って行ってしまったのです。混んでいたせいか、二人はなかなか帰ってきません。両親は、誰かがカバンを持っていってしまったらどうしようと思うと、気が気でなくなりました。そこで、頼まれもしないのにカバンの見張り役を始めたのです。それから五分くらいして、女性たちはパンや飲み物などをもち、談笑しながらテーブルに戻ってきました。それで、両親はようやく見張り役の責任から解放されたのです。ところが、今度は後ろの方の席で、またしても同じようなことが起こりました。両親は目を丸くして、新発見に興奮したのです。「そうか、みんなそうしているのか。」両親は感激し、日本の治安の良さを絶賛し始めました。微笑ましい光景を目にした著者は、黙ってそれを聞いていたということです。

ところで、明治時代の中頃、アイルランド出身の作家、ラフカディオ・ハーン、日本名、小泉八雲は、毎年夏になると家族とともに焼津に避暑に来ていたそうです。その当時の焼津は東海道筋のひなびた一漁村でしかありませんでした。とりたてて名所旧跡があるわけでもなく、寂しく、つまらない所であったと書かれています。しかし、そんな焼津に、なぜ彼が毎年家族とともにやって来たのかといえば、焼津の人々とのあたたかな心の交流にひかれたのだということです。当時の焼津の漁村の人々は、実に純朴で、とても素直であったと彼は述懐しています。

私たち日本人は、自分自身に対しては勤勉であれ、努力せよ、正直であれ、謙虚であれ、人に対しては親切であれ、思いやりをもて、情け深くあれなどというように、人間として何が大切かということを幼少の頃からしつけられて育ってきました。一つ一つの言葉は簡単でも、それぞれを実行することは大変難しいことです。まさに、「言うは易く、行うは難し」というとおりです。けれども、そうしたことを少しずつでも実行することによって、人と人との信頼や信用が次第に築かれてきたのです。

人間にとって、健康であることは何より大切です。また、お金も大切でしょう。お金で幸せを買うこともできますし、「地獄の沙汰も金次第」という諺もあるほどです。しかしその反対に、世の中にはお金のために不幸になってしまったという例も、数知れないほどたくさんあります。最近の世界的な傾向として、金銭至上主義的な考え方がますます強まっているようですが、私たちは昔から、お金よりももっと大切なものがあることを教わってきたはずです。ある禅僧が、人間の究極の幸せは、

一、      人に愛されること

一、      人にほめられること

一、      人の役に立つこと

一、      人に必要とされること

であると述べています。たしかに、それぞれの項目を実行していくことは難しいことです。けれども、それを少しでも実現するために精進していきたいと思います。「美しい国、日本」は、「美しい心をもった日本人」によってこそ達成されるものではないでしょうか。

平成十八年の歳末にあたり、お檀家様のご健勝を祈念いたしますとともに、よきお年を迎えられますことをお祈り申し上げます。